黎明期
土地家屋調査士の仕事と、建物の修繕をかけもちされていたわけですか。
創業者:2年ぐらいしたら建築の仕事が忙しくなってきまして、土地家屋調査士は自分で測って登記にも行かないといけない。けれども、建築の仕事をやっていたら忙しくて行けないんです。だから土地家屋調査士の資格は持ったままですね。リヤカーを引いて、人を2人ばかり雇って。それでだんだん、人づてで仕事が増えていった。
昭和28年に水害があって、当時は修繕ばかりですけど、建築もだんだん増えて来たということで、29歳ぐらいの時かな、建設業の登録を正式に県に出したわけです。500万以上の建物の仕事は登録しないとできないもんだから。まあ、でもやっぱり修繕の仕事が多くて、始めた頃は『太か家ば建てたかなぁ』という気持ちはありましたね。当時は今みたいに機械も何もないですから、そうなると会社と違って現場監督はできないから、泥まみれになって大工と一緒に働いて、家を建てていましたよ。
当社の創業が昭和28年8月1日ですので、
昭和28年の白川大水害の直後に会社を興しています。
熊本県内でも、その復興需要を見込んで建設業者が
雨後の竹の子のように出てきたと聞いています。
熊本地震後、独立して建設業を興された方も多いですが、
その時も同じような状況だったのでしょう。
創業期は、個人住宅の修理工事や増改築をやりながら友人、
知人の助けを借りてぼつぼつと仕事をしていました。
これまでの監督的な仕事ではなく、
自らリヤカーを引いて大工と一緒に修繕工事をしていたと聞いています。
その後、仕事も順調に増えてきて、4年後の昭和32年1月に
法人としては一番信用がある合資会社三友工務店として会社設立し、
熊本県や熊本市に指名願いを提出しています。
また「三友工務店」という名称については、
初めは気の合う仲間3人で会社を興そうとして、
その時「三友工務店」という名前が上がった、との事。
最終的には自分1人で会社を興すことになったが、
古閑家の家紋 の「三」とも重なって、
いいネーミングだと本人も気に入ってそのまま使ったと聞いています。
また、会社マークも です。
井桁に三でラッキーセブンの7画で、字画も良かったので、
この家紋を会社のマークとしてそのまま使ったと聞きました。
余談ですが、
父は数字の「3」にこだわりがあり、
20年近く前に現在の社屋に建て替える際、
私に“どんな形にしても良いが、
3階建ての延べ床面積333㎡だけは守ってくれ”
と言われたことを忘れることは出来ません。
社屋建て替えに当たっての父の強い要望は、その1点だけです。
その為、私と設計を担当した風間さんは、
面積を合わせるのに大変苦労して、
何とか333㎡にピッタリ合わせた事を今でも覚えています。
現在の社屋ビルの全景
3階建ての333㎡はしっかり守りました。。。(笑)