事業継承して
平成18年明専寺様現場にて
堅実にやってこられた中で、息子である社長が会社を継ぐことになったわけですか。
創業者:私は60歳になったら仕事は辞めようと思っていたのですが、60歳になってもまだピシャーンとしとるし、倅もまだ任せるような年じゃなかったですから。まだ合資会社でしたし、倒産すれば全部持って行かれますから、まず株式会社にして、倅に社長を譲るならば、今の建物ではいかんぞと思いましてね。それであそこ(現社屋)を建てたんです。それで社長に、やってみなさいと。今は親父の仕事を2代目が継ぐということは少ないでしょう。
ところが、社長が快く継いでくれたのでね、実際には感謝しているんですよ。公共工事も、仕事も減っていく時代に、会社を運営して行くのは大変だろうと思いますから、『悪い時に譲ったなぁ』とも思いますけど(笑)、止めるわけにはいかないから、『思う存分やってくれ』という気持ちですね。社長は東京の大学で構造学を勉強してきたから、初めのうちは『建設業はしない』と言っていたんですが、彼もだんだん『やらなきゃいかん』という気持ちになってきたのではないでしょうかねぇ。
私が設計事務所勤務を経て
三友工務店に入社したのは昭和60年、
西暦でいうと1985年の12月で、
いまから34年前の事になります。
いま思えば、
その時、会社としては創業32年目を迎えていました。
つまり、
「父が創業して私が入社するまでの期間32年」と、
「私が入社して現在までの期間34年」が
ほぼ同じになった訳です。
そう思うと、何だか感慨深いものがございます。
入社した当時の事は今でもはっきり覚えていて、
まさにアッという間に感じますが、
一つひとつの出来事を思い出していくと、
ずいぶん長くも感じます。
私が入社した当時は、
世の中の流れで公共事業が
徐々に削減されて行く方向にありました。
しかし、地方の建設会社では他に収益源が少なく、
ほとんどの会社が受注の大部分をこれに頼っていました。
三友工務店もご多分に漏れず同じでした。
そういう時代でしたので、
業者間の情報交換も活発に行われており、
とりわけお酒を酌み交わしながらの、
夜の会合が大切な仕事の一環でした。
私はお酒が飲めず、
人付き合いも苦手な方でしたので、
建設業界の現状を知り、
私にはとても無理(こらおおごつ!)と思い、
大学卒業後、親の言うことも聞かず
一目散に設計事務所に就職いたしました。。。(笑)
もっとも、父としてもお酒が飲めず、
人付き合いも苦手な私を見て、
“建設業界には向いとらん”と内心思っていたはずで、
きっと将来を嘆いていたことでしょう。
そうはいっても、
やはり跡継ぎなので
いつかは家に戻らなければいけません。
いざ入ってみると、
設計畑で現場は分からないし、
人付き合いもおぼつかず、
夜の会合などとんでもない話で、
案の定、会社にとってはまったくのお荷物となりました。
まさに「2代目あるある」で、
バカ息子そのものです。
廻りもそう思っていたと思います。
創業の精神・・・会長インタビューで思うこと その⑬の2に続きます。