前回、「創業の精神・・・会長インタビューで思うこと その⑬の1」の内容です。
私が設計事務所勤務を経て
三友工務店に入社したのは昭和60年、
西暦でいうと1985年の12月で、
いまから34年前の事になります。
いま思えば、
その時、会社としては創業32年目を迎えていました。
つまり、
「父が創業して私が入社するまでの期間32年」と、
「私が入社して現在までの期間34年」が
ほぼ同じになった訳です。そう思うと、何だか感慨深いものがございます。
入社した当時の事は今でもはっきり覚えていて、
まさにアッという間に感じますが、
一つひとつの出来事を思い出していくと、
ずいぶん長くも感じます。私が入社した当時は、
世の中の流れで公共事業が
徐々に削減されて行く方向にありました。しかし、地方の建設会社では他に収益源が少なく、
ほとんどの会社が受注の大部分をこれに頼っていました。
三友工務店もご多分に漏れず同じでした。そういう時代でしたので、
業者間の情報交換も活発に行われており、
とりわけお酒を酌み交わしながらの、
夜の会合が大切な仕事の一環でした。私はお酒が飲めず、
人付き合いも苦手な方でしたので、
建設業界の現状を知り、
私にはとても無理(こらおおごつ!)と思い、
大学卒業後、親の言うことも聞かず
一目散に設計事務所に就職いたしました。。。(笑)もっとも、父としてもお酒が飲めず、
人付き合いも苦手な私を見て、
“建設業界には向いとらん”と内心思っていたはずで、
きっと将来を嘆いていたことでしょう。そうはいっても、
やはり跡継ぎなので
いつかは家に戻らなければいけません。いざ入ってみると、
設計畑で現場は分からないし、
人付き合いもおぼつかず、
夜の会合などとんでもない話で、
案の定、会社にとってはまったくのお荷物となりました。まさに「2代目あるある」で、
バカ息子そのものです。
廻りもそう思っていたと思います。
ところがよくしたもので、時代が大きく変わりました。
小泉政権が誕生してからは、
これまでの指名競争入札から、
一定の資格さえ有れば誰でも参加できる
一般競争入札制度に変わりました。
しかも電子入札制度となり、
どの会社が応札しているのかまったく分からなくなりました。
それまでは指名競争入札でしたので、
まずはその指名に入ることが何よりも優先される営業活動でした。
当時は名刺の数で指名か決まると、
まことしやかにささやかれていましたので、
当時の私には「出来る仕事はこれしかない」と思い、
県内の各市町村や国の出先機関などを調べて、
年間1万枚の名刺を、
まじめに、ただひたすら配って歩いておりました。
ところが、
先にも書きましたとおり、
小泉政権が誕生してからは、
これまでの指名競争入札から
一般競争入札制度に変わり、状況は一変しました。
つまりは一定の参加資格を持ってさえいれば、
誰でも自由に入札に参加できるようになったわけです。
お陰で、
私が苦手としている夜の付き合いもあまり必要がなくなりました。
私にとっては、
とてもラッキーな入札環境の変化でした。
同時に、
私は公共工事頼りの営業形態から、
創業の頃に立ち返り、
住宅とリフォームなどのお客様の顔が見える
民間受注に軸足を変えることを意識しました。
父も時代の流れだと思ったのか、
一切反対いたしませんでした。
その甲斐あって、
今は住宅・リフォームが
全体売り上げのほとんどを占めるようになりました。
公共主体から住宅・リフォームに大きく転換しましたので、
当時のスタッフ達の戸惑いも大きかったと思います。
明専寺様山門新築工事
父の最後の現場