毎月、弊社とご縁のあったお客様には会報誌をお届けしていますが、
その今月2月号に掲載した内容です。
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弊社が発行している会報誌「快適生活」の過去記事を振り返っていたら、
当時会長だった父の挨拶文が見つかりました。
下記の文章は、今から13年前、2009年1月新年号に掲載されたものです。
父は2010年12月に他界したので、亡くなる2年前になります。
今に通じるものもありますので、改めて紹介させていただきます。
創業間もない頃の父の写真
今日まで五十余年事業を営んで参りました。
いろんな方々に助けられ、親切にして頂いた事は有り難く、心から感謝しております。
昨年は「3」が流行しましたが、私の家紋が「井桁に三文字」ですので、3という数字にこ
だわってまいりました。電話番号も 0003番に、東京タワーが333mの高さでありま
すので、社屋の広さを333m²としてもらい、少しでも上になるような思いで建てました。
百年に一度の不景気といわれている昨今ですが、昭和48年の第一次オイルショック
の時も大変苦労しました。トイレットペーパーが無くなると同時に、セメントや生コン
クリートも買占め騒動で、市場に無くなってしまいました。コンクリートを求めて、福
岡までトラックで直接買いに行ったことを思い出します。
振り返りますと、昭和30年代までは、住宅一坪あたり10万円程度で完成したのが、
日本の景気が良くなり豊かになると家を建築する人が増えて、年々高くなりそれと同時
に建築資材も高くなり、当時私は市場に行き、少しでも安くなるようにと木材や新建材
をまとめて購入していました。
厳しい時代ですが社長以下、お客様には迷惑をかけないように頑張っているようです。
今年も社員一同努力して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
新年にあたり年頭のご挨拶と致します。会長 古閑靖通
この挨拶文の通り、父は「3」に強いこだわりを持っていました。
『「三友工務店」という社名は、当時気の合う仲間3人で会社を興そうと思ったから。
最終的に1人で興すこととなったが、古閑家の家紋「井桁に三文字」の「三」とも重なり、
良いネーミングだと気に入ってそのまま使うことに。
会社マークも同じにしたのは、井桁に三でラッキーセブンの7画と字画も良かったため』
と聞いています。
ちなみに「井桁に三文字」は三井グループのマークと同じでこちらです。
そんな父の忘れられないエピソード。
それは25年ほど前、現在の社屋に建て替える際のこと。
父は私に「どんな形にしても良いが、
3階建てで延べ床面積333㎡だけは守ってくれ」と言いました。
間取り、デザイン、費用面に関しての話は全くなく、要望はその一点のみ。
そのため、私と設計を担当した風間さんは、面積を合わせるのに大変苦労して、
何とか333㎡にピッタリ合わせた事を今でも覚えています。
すっかり忘れていましたが、電話番号も「3」にこだわり「0003」を選んでいます。
この番号「0003」については、その後名の知れた会社から売って欲しいと
相談があったと聞いています。
私も「創業の精神」というわけではありませんが、
父のこだわりを引き継ぎ、なるべく「3」並びの数字を選ぶことにしています。
また、この挨拶文の中に「百年に一度の不景気」とあります。
2018年9月のリーマンショックの煽りを受けて、世界全体が不況に陥った時期です。
当時を振り返ってみると、確かに弊社も色々な困難や気苦労がありましたが、
今回のコロナ禍のように資材の供給がストップするなど、
直接的な影響はなかったように思います。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、ではありませんが、
14年も経つと記憶も薄れて「あの頃はまだ良かった!」と
都合よく勘違いしているのかも知れませんね。
それでも、その時々では誰もが「これまでにない厳しい世の中を生きている」
と感じながら頑張っているのだと思います。
今も昔も、楽をして暮らせる世の中はないようです。
きっと数十年後に今を振り返れば、
熊本地震やコロナ禍で右往左往していたが、
まだまだ良い時代だったと言うのかも知れませんね。
父が生前よくいっていた、「今を一生懸命生きる」しかないと思いました。